2008年9月21日日曜日

”人生の短さについて” セネカ

『しかし、われわれは短い時間を持っているのではなく、実は、その多くを浪費してしまっているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、最も偉大なことをも完成できるほどに豊富に与えられている。けれども、放蕩や怠惰の中に消えてなくなるとか、どんな善いことのためにもつかわれてないらば、結局最後になって否応なしに気づかされることは、いままで消え去っていると思わなかった人生が、もはやすでに過ぎ去っていることである。
まったくそのとおりである。われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。われわれは人生に不足しているのではなく、濫費しているのである。しかし、われわれは短い時間を持っているのではなく、実は、その多くを浪費してしまっているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、最も偉大なことをも完成できるほどに豊富に与えられている。けれども、放蕩や怠惰の中に消えてなくなるとか、どんな善いことのためにもつかわれてないらば、結局最後になって否応なしに気づかされることは、いままで消え去っていると思わなかった人生が、もはやすでに過ぎ去っていることである。』

→なるほど、心いたい。
完璧に時間を使わなければいけない、とは言っていないが、その多くが浪費されている。必要がない情報を得るのに、TVを見続けたり、ネットし続けたり、おしゃべりし続けたり、寝続けたり。

 上司のT先生は、必要がなくなったら、そそくさと帰宅する。他の先生は、こちらが、相談ごとをできる時間があるまで待っていてくれたりもする(非常にありがたいことなのは、十分承知してます)が、T先生は自分の都合で、仕事を振ってきたりもする。 
そそくさと帰ってしまうのは、自分が帰宅して、勉強するためだろう。今日ボスと話していて、T先生はうちに帰って結構勉強していてすごいなあ、といっていたから。
だってすごい勉強量だもの。知識量もすごいし。やはり、努力している人は、すごく努力しているのだと、感じた。

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